「おしむ」と打ったら「惜しむ」と変換候補が出てきた。
オシムさんが亡くなった。
同じような喪失感を、以前に味わったことを思い出す。
2007年、サッカー日本代表監督だったオシムが脳梗塞で倒れた。どうにか復帰してほしいとの願いは叶わず、岡田監督に変わることとなった。
当時、日本代表の強化は着実に進んでいた。1998年にワールドカップ初出場。2002年は自国開催でベスト16。2006年は一次リーグ敗退だが、中田英、中村俊、稲本、小野など才能は揃っていた。
一方で、日本代表の試合を見るにつけ「ボールはキープできるが状況を打開できない」という閉塞感を常に感じていた。それを打ち破りつつあったのがオシムだった。
「考えながら走る」
オシム語録の中でもシンプルながら、目指すサッカーを的確に表している言葉である。
考えながら走るから、的確で、流動的なプレイがスピーディに展開される。日本に欠けていた要素が追加されたサッカーは停滞感がなく、見ていて楽しく、期待を感じさせた。
「リスクを冒さなければサッカーとは言えない」
これもオシムサッカーを象徴する言葉だ。
もう少し長く、こんな言葉もある。
「日本の監督の問題は、リスクを冒そうとしないことだ。しかし、リスクを冒さなければサッカーとは言えない。では、だれが? それは監督が試みるべきことだ。」
この言葉を体現した、忘れられない痺れる試合がある。
2007年のアジアカップ、準決勝のサウジアラビア戦である。結果的に2度追いつきながらも2-3と敗れるのだが、オシムの意志を感じさせる采配だった。
当時のサウジアラビアにはヤセルとマレクという強烈なツートップがいた。(2人の名は別のプログ記事から推測)
この2人を抑えるのが勝利のカギとされ、日本の3バックを予想する記事も多かったように記憶する。
しかしながらオシムは4バックを選んだ。(3バックなら2人に対峙しても1人余るが、4バックだと2人に対峙するのは真ん中のセンターバック2人だけとなる)
守備のリスク管理よりも攻撃を優先させたと思われる果敢な采配に思わずうなった。
結果、敗れたから、正しい采配だったかはわからない。ただ、単に安全志向で破れた落胆とは異なる、トライすべき賭けに挑戦したような一定の納得感が胸に残った。その先のより大きな成果につながる挑戦だったようにも感じる。
歴史を変えたかも知れないかたまり
リバプールやマンチェスターシティなど、現在の最高峰のサッカーを観ると、とにかくよく走る。
オシムが健在で2010年のワールドカップに臨んだなら、日本の、世界のサッカーはどうなっていただろう。歴史を変えてしまったかもしれない、オシムに脳梗塞を引き起こした、小さな小さな血栓が、僕は恨めしいのである。
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